川の中をきれいな水が流れる村

宅の水道が壊れて水が大量に噴き出してるところを想像してみてください、

それは床をどんどん水浸しにしていきます。

このときどんな行動をとりますか?

 

冷静に対処できる人なら、

まず水に浸ったら取り返しのつかないような物が転がっていないか

サッと判断してよけられる物はよけて、

その後水の噴き出してる口を止める方法を考えて

どうしても自力では無理だったら業者に連絡をするとか、

そんなところじゃないでしょうか。

 

「ぎゃ〜!、カーペットが。。私の大切な本が水浸し〜。。。」

って大騒ぎして立ち尽くす、

これは時間のムダです。

 

床に広まった水をすくい上げることだけに徹するのも、

流れ続ける水を放っておくのなら

永遠と終わりのない作業をすることになります。

 

何か事が起きたとき、

冷静に全体を見渡して、

被害を最小限にとどめるための方法を実践することは

やっぱり大切なことだと思うんです。

ほとんどの場合、感情は冷静さを邪魔することが多いです。

 

この世界はひとつの村で、

何人かが叫びます、

「川上から汚れた水が流れてきている」と。

川下の人たちの目の前には

汚れた水が流れていきます。

それを一生懸命きれいな水に変えていく人、

平気でその水を飲む人、

原因はなにかとそれを探る人、

川上には悪魔がいるのだと信じる人、

川上まで行って状況を見に行く人、

水には興味がない人、、、

 

川上まで行って状況を見てきた人が言いました、

「水を汚しているものの正体は、僕たちだ。。

僕たちの生活から出た汚れだった。循環しているんだ。」

と。

もう放たれてしまったものはどうしようもないんです。

しばらくのあいだは後始末のような作業も必要になります。

でもこれからの行動は変えられるでしょう。

1人の人間にできることには限りがあって、

そして限りがないとも言えます。

でもほかの村人が協力してくれないからって

喧嘩をしても、水はきれいにはなりません。

焦る感情というもの自体は、

水をきれいにしてくれるものではないんです。

「喧嘩が人目についたら、多くの人の関心を引けるじゃないか。」

という意見も聞こえてきます、

でもそれでいち早く「川の中をきれいな水が流れる村」を実現しても、

村人が対立し奪い合うことも同時に「実現」してしまいます。

 

すばらしい方法や行動でもって、

初めてこの村は本質的に美しくなって行けるんだと思います。

 

2 返信
  1. metori says:

    >でもこれからの行動は変えられる、>1人の人間にできることには限りがある、>そして限りがないとも言える。>でもほかの村人が協力してくれないからといって>喧嘩をしても、水はきれいにならない。>焦る感情というもの自体は、>水をきれいにしてくれるものではない。「自分と同じタイミングで同じように感じてくれると思ってはいけない自分のものさしで、考えてはいけない」と、友人に言われたとき、全くその通りだなあと、悲しいなあ、難しいなあと思いました。「みんながやらないから自分もやらない自分だけが損をするのは嫌だ」と思ってしまっている自分は、やっぱり嫌いだし、好きになれないし、変えたいなと思います。

    返信
  2. veggiezjp says:

    >metoriさんありがとうございます☆なんでも自分と他人を置き換えて考えるようにすると、人にとってどういう振る舞いをしてるかに気付けるものですよね。「みんながやらないから自分もやらない自分だけが損をするのは嫌だ」よくぞ言ってくれました☆これを否定されるのが怖くてどれだけの人がその表現を押し殺してきたか。みんな一瞬のあいだだけでも、そう感じることもあって当然なんです。次の世代にそういう思いをさせたくないという理由も、またひとつ行動の原動力になれますよね。

    返信

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