vegkyori

ベジタリアンが周りから距離を置かれるワケを考えてみた。。。

「人間としてどうなん?」

という言葉はあまり人に向けられる言葉じゃないと思うんです。

 

たとえば僕は、マンホールの上でゴキブリが死んでるのを見ても

「かわいそう」だとは思わないです。

「え〜なんで?めっちゃかわいそうやん!

なんとも思わんって人間としてどうなんよ!」

ってもし誰かに言われても、気持ちは変わらないですね。

口では「ああ、かわいそうやなあ。」

って空気を読んで言うかもしれないけど、

正直に心からそうは思わない。

 

「虫と動物は命の重みが違うやん!」

って誰かは言うでしょうけど、

根拠は?

体の大きさだったら犬より牛のほうが大っきいのに、

圧倒的に犬の命に感情的になる人のほうが多いですよね?

「この生き物の命」のほうが「あの生き物の命」より尊いって

みんなで多数決で決めることなんでしょうか?

(もしそうだったとしても動物の意見も聞かずに人間だけで決めることなんでしょうか?)

みんな、「自分が最も愛する命」を優先して守ろうとするんじゃないでしょうか?

 

昆虫のことが犬や猫よりも大好きで、もしカブト虫と猫が同時に溺れてたら真っ先にカブト虫を助けるという人もこの世界のどこかにはいるわけです。

種類だけの問題じゃなくて、

同じ人間でもたとえば

【89歳の老人が今にもトラックに轢かれそうになってるのを目撃していて、助けられる距離にあるけど助けに出たら確実に自分の命を失う】

という状況で、

自分の命を犠牲にしてまで助けられるという人もいれば、

それが5歳の子供だったら助けるけど、老人や自分から死のうと思って

飛び出した人なんだったら見過ごすだとか、

老人でも自分の親だったらば助けるだとか、

生きることをどれだけ求めてるかということも関係してくるわけです。

同じ意見にまとまるってことはないわけです。

 

「多くの人が自分と同じことを考えてるから、私の意見は正しいんだ」

っていうのがどれほど危険な考え方なのかは、ベジタリアンになって、

少数派の立場を経験した人ならもうすでに学んだはずでしょう。

 

動物の苦しみに対してなんとも思わない人に対して

「冷酷な人、残酷な人」みたいに言う声を聞くことがありますが、

それは愛情の向かうチャンネルがただ違うだけなんです。

「自分自身」に愛情を向ける人、「人間という動物」だけに愛情を向ける人、

それのどこがダメなことなんでしょうか?

あなたが「冷酷な人」と呼んでいる彼らは

たまたま「動物」というチャンネルに向ける愛情をあなたみたいには「持ち合わせてない人」じゃないでしょうか。

「今の時点で持ち合わせてない人」という言い方もできますよね。

(勘違いしないでほしいんですが、僕は「動物に愛情を持つ人=すばらしい人間」という図式は持っていません)

これは人にとって欠点でもなんでもないと思います。

これが欠点なら、僕はゴキブリが死んでるのを見るたびに自分に失望しないといけない(笑)

生まれる国や家庭環境、親からどれだけの愛を注がれて育ったとか、

他人の境遇ならどういうふうに感じるか、

自分には経験ができなくても想像はできるはずですよね。

もしあなたが自分のことを、

「動物というチャンネルに向けられる愛情を持ち合わせている人」

 だと思うのなら、

今たまたま「持ち合わせてない人」に対して

批判することというのが、あなたにとっての務めなんでしょうか?

なにかするとしたら、できるだけの協力をするのがベストなんじゃないでしょうか?

同じ地球に住む友だちとして、なにかするとしたら愛を送ってあげてください。

冷たい視線なんか送ったら、人々の心からは愛情をマイナスさせることになります。

 

必要以上の殺生の数は地球上から減ってくれればと願いますし、

ほんとに苦しい思いをする動物の身にもなってみれば、「人間としてどうなの?」

と言いたくなる気持ちもわかります。

でも流れる血にだけ目がいって、冷静さを失ってはいないでしょうか?

「暴力反対」と書かれたプラカードで人を殴るようなことをすれば、

周りで見ている人間から、「あいつらおかしい」

って思われたってしかたがないんじゃないでしょうか?

ここで言う「殴る」は、言葉の暴力のこと、

体の傷は時間が経てば治るけど、

心の傷はナイフの切り傷より根が深いです。

 

日本ではベジタリアンに対してまだ偏見を持ってる人が多いという現実、

その原因の一部に、上の「プラカード理論」(勝手に命名)

があるんじゃないかなって思いました。

ベジタリアンはまあまあ周りの人から距離を置かれてると感じます。

それは小さな言葉であれ、態度であれ、

僕たちが周りに傲慢な態度や、

知識のひけらかしや、

周囲を否定する言葉や雰囲気を放ったからじゃないでしょうか?

僕にも身に覚えがあります、そのときは正しいと思ってやってました。

今は間違ったことをしてたんだって考えられます。。

 

逆効果は文字通り逆効果です。

「ベジタリアンは正しい生き方」というプラカードを掲げれば、

見ている人によっては「あなたは間違った生き方」と映り、

その人の心に傷をつけます。

 

自分の基準だけに執着すると、

人の愛するものを傷つける危険性があります。

それは争いの種だと思うんです。

 

だから自分が上に書いたような態度をとってるにもかかわらず、

見放さないで友だちでいてくれるノンベジの人が周りにいるのなら、

彼ら、彼女らは相当辛抱強くて、愛情深い人なんだと気付けるんです。

 

僕も自分の基準でものを言ってるから、

この文章で人のことを傷つけることもあるだろうと思います。

特にブログってのは、「あなた」が見えていません。

でも、自分の考えを幅広い人に聞いてもらえて、

フィードバックも得られる便利なツールだと思います。

 

では長くなってしまったので、また次回!

 

4 返信
  1. ヴィーガンなのに肉体改造 says:

    あなたは間違ってるって言ってるようなものか、興味深い記事でした。ちなみに、編集長さんはホンマに関西の人間?

    返信
  2. veggiezjp says:

    >ヴィーガンなのに肉体改造さんそう受け取らない人も、そう受け取る人も両方いるんで、言い方や表現の仕方には配慮が要りますよねって思います。テキトーな関西弁気になりましたか?標準語と関西弁のミックスです。ジャッキーチェンの英語のようなものでしょうか。。コメントありがとうございます!!

    返信
  3. metori says:

    >「ベジタリアンは正しい生き方」というプラカードは、>見ている人によっては「あなたは間違った生き方」と映り、>その人の心は傷つく。ほんと、そう思います。すごくむずかしいなとも、、今、このブログを、一緒にいる友人と読んで、いろいろな話ができました。ありがとうございました。

    返信
  4. veggiezjp says:

    >metoriさんこちらこそ、その気持ちを文字にして伝えてくださってありがとうございました。ほんとに嬉しいです。正しく伝えるには、どこまで配慮ができるか、考える思いやりと冷静さが重要なのだと思います。でもこういうテーマについても考えを深めることができて、ベジタリアンになって「よかったなあ」と、またひとつ思えるんですよね。

    返信

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