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ヴィーガン(ビーガン)とは何なのか?【後編】

【前編はこちら

 

にならないレベル

 

ヴィーガンは普段、食品の「原材料」とかを気にしますよね?

でもあれは「何を口にするか」であって、その製造工程まで動物の犠牲を排除できているわけではないはずなんです。

 

そしてもしそれを

「気にならないレベル」

「無視していいレベル」

ということにして「完全であることをあきらめている」のであれば

 

世間一般の人たちが感じている「いちいちそこまで気にしていられない」

というこの言葉は、ヴィーガン自身にも当然あてはまる言葉だと思うんですね。

 

食品でも携帯電話でも、ヴィーガンが深くまで徹底した調査をしてから購入・利用をしていないとすれば

どこかを境として「あきらめている」わけなんです。

 

もしも「あきらめない」というのであれば、

いったん街での生活を離れて山にこもるというような行動に出るしかないかもしれません。

そのときは熊やヘビのような動物には気をつけたほうがいいと思いますが。

↑ こういう言葉を皮肉と言いますが、

「皮肉」という言葉の語源は、「本質ではなく表面的な理解しかしてない」という意味からだそうなのでぴったりではあります。

 

昔の僕はホント表面的な理解しかしていませんでした。

 

 

 

音楽で使われるコンガやボンゴなどのパーカッションには水牛の革、和太鼓の場合は牛の革が使われるのが主流です。

(楽器であれば、あとバイオリン系の弓に馬の毛、三味線に猫や犬の革、三線にヘビ、たまに古いピアノの鍵盤に象牙、キハーダは馬もしくはロバのあごの骨などと、いろいろとあります。)

 

コンガやボンゴなどのパーカッション、そして弦楽器であるストリングスなんかは、ポップスをはじめとしてすごく幅広い音楽の中で使われていますよね。

 

完全なヴィーガンという視点からの行動を考えると、楽器構成にパーカッションや弦楽器の入っているバンドのライブにお金を払ったり、CDや配信音源を買って売り上げを支えることは、間接的に動物の体から革を搾取・使用することに関わることになってしまいます。

 

もしヴィーガンを極めるなら「パーカッションの入ったダンスミュージックでノリノリになるのも不謹慎」ということになってきます。

危なくてライブにも行けません。

↑ これも皮肉で、

「皮肉」という言葉の語源は、、、以下省略(笑)

 

革製品をファッションから排除してちょっとでもドヤ顔をしていた頃の僕は、ホント表面的な理解しかしていませんでした。。

 

 

 

「生き物すべての命を平等に」

のような主張をする人もいますが、そんな人に聞いてみたいなと思うのは、

蚊やヘビの命と、犬・猫・豚・牛・馬・鶏などの命を平等に考えているのかということです。

 

「それは違う」と、

「人間により近い生き物を最優先して」というのだとしてもですよ?

それならそれで牛や豚、犬や猫のことよりももっと猿の密猟の問題について真剣になってないとおかしいわけです。

人間の姿にあんなにそっくりな生き物の脳みそを食べたりするわけですからね。

 

もしも自分の倫理観は絶対的に正しいと信じている人がいれば尋ねてみたいんです。

自分の倫理観がズレてないって本当に言えますか?って。

そもそも「絶対的に正しい倫理観の人」っていうのがこの世のどこかに存在しますか?ってことなんです。

 

過去の僕も今の僕もズレズレです(笑)

 

僕は倫理観というのは、お互いに自分のものを相手に押し付け合うものではなくて、共有し理解を深め更新し合うものだと思っています。

 

 

んなグレー

 

最初に言った色の話を思い出してみてください。

みんなグレーなのに、

そこのどこかになんとなく勝手に線をひっぱって、「あなたたち」「わたしたち」ってあれこれやってる人がいるんです。

 

ライトグレーが、ダークグレーに向かって「おまえ黒いぞ!」って。

「僕はまったくの正義でノータッチで、あなたたちのやっていることは悪だ」って。

 

響くわけないじゃないですか。

自分がちょっとでも動物のしっぽを踏んでしまっていることは冷静に見えていないんですからね。

それはイタい連中扱いされることだって当然ありますよ。

 

海外のセレブだってそんな雰囲気の発言をしちゃってるように見えることがあります。

「自分は完全菜食主義者、ヴィーガン。動物の犠牲に100%ノータッチな生活はすばらしいですよ」みたいな。。

あなた何様ですかと(笑)

今の僕ならそう思うんです。

 

自分の立ち位置の認識と物腰の違いは大きな違いなんです。

 

 

それから

「自分は嫌われてもいいから動物の命を守りたい」って考えてる人、

もちろん自由ではあるんですが、それって「他人のことなんてどうなったっていい」っていう考えとイコールなことにも気が付いてほしいです。

あなた自身が幸せでもないのに「動物に幸せを」と言っているなら

「自分を殺している」ということになります。

社会・世界の構成員の一人であるあなたが、

自分を殺すことが社会・世界のさらなる発展や幸せにつながると言っているというのはおかしいんです。

そしてそういう人は他人に対しても犠牲になること(己を殺すこと)を望んだりします。

 

 

ヴィーガンのような強い主義を持った一個人が相手にしている「業界」や「社会」「政治」「国」もそして「あなた」もみんな不完全な存在です。(それで完全な姿なのですが)それって、改善の余地があるってことですよね。

それは今から100年経ってもたぶん同じでまだ改善の余地があることだと思います。

 

だから、非難・争い・押しつけ、とかそんなのじゃなくて、

共に成長する。というのをキーワードにして歩む、発言する、人と対話するってことがとても重要なことだと僕は思っています。

 

りあえず8年目の僕の一つの意見をここに記録しておきました。

この先また二転三転と考え方も変わるかもしれないし、

また8年後の自分がこれを読み返したら恥ずかしいと思うかもしれません。

そしてもっと長い期間ヴィーガンを続けてるような方から見れば、まだまだ青い内容かもしれないです。

 

でもこれ以上、

ヴィーガンの人たちが「ばかやろう」って言われるのを見たくないし、

お肉を食べる友人たちのことを「ばかやろう」って言ってる声も聞きたくないので今回の記事を書くことにしました。

またみなさんの新しい意見も聞かせてください。

 

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

 

 

6 返信
  1. Rose says:

    「自分は嫌われてもいいから動物の命を守りたい」って考えてる人が、「他人のことなんてどうなったっていい」っていう考えとイコール。(!?)

    全く意味がわかりません。なぜ「動物の命を守りたい。」人が「他人はどうなったっていい。」になるのですか? 

    まず私たちは皆生物学的に「動物」なわけですが、その中でもまず、圧倒的な「弱者」層が存在するのは事実以外のなにものでもありませんよね。そしてその「圧倒的な弱者」の中には、もちろん人間の子供、貧困、カラー、なども含まれますが、そういう弱者(人間)のために声をあげる方たちがいる中で、かりにもっとも巨大な数で搾取され奴隷化されている「言葉のしゃべれない非人間種」の声になり、動物の権利を主張したい思った人物が、本当に「他人はどうなってもいい」とおもえるものでしょうか?とてもそうは思えません。

    たしかに「人間よりも非人間種」という269ムーブメントのような方たちも確かにいらっしゃいますが、それも「ある程度安全な環境が整われている人間層」という条件あってのことで、やはり奴隷化されている人間がそこにいたら彼らは同じように声をあげるのではないでしょうか?(269に関しては憶測範囲ですが) より大きな規模で、しかも合法的に、99%の人口が無視している、あるいは無視したいという対象層(強烈な弱者)の声になりたい、と行動する動物擁護者が必ずしも人間嫌いかというとそうでもないですよ。まずここで肝心なことは、批判するべきは「アイデア」や「行為」であって「人」ではないということ。「あなたは黒だ、白だ」の次元ではなく、社会的「行為」には意図的な殺傷が伴っていて、それは以外と簡単に排除できる「行為」であるのではないか、という提唱をしているにすぎない、と私は見ています。弱者をみて「何かをしたい」と思うのは、ヒューマニティーでしょう?

    返信
    • akiishiyamacom says:

      「まったく意味が分からない」というお気持ち分かります。
      普通そんなこと思わないですよね。

      僕も同じ立場なら「なに言ってんだ?」て思うんじゃないかと思います。

      返信
      • ちずこリース says:

        ラクト、オポ、ベジタリアン、11ヵ月そしてビーガン歴一ヶ月のものです

        最近、砂糖にも、製造過程で、動物の骨を使っているのを知りショックをうけています。akiishiyamaさんが書いてくださっているような事々、全てが気になっていました。どこかで必ず動物のお世話になっているように考えられるのです。石油にしても、植物にしても、この地球の土には何らかの動物の命が混入しているように思えるのです。いったい何を使い、何を食べたら、、、(汗)

        そんな中、今日akiishiyamaさんのブログを読み、気が楽になりました。

        私たち地球に住む、多くの人が『ある程度安全な環境が整われている人間層』になったのも、ここ数100年です。これまでに多くの人間、動物、植物のお世話になってきたので、これからは、恩返しできたらいいなと思います。全てにお世話になっていると感謝し、食べない、着ない、を中心にビーガン生活を続けて生きたいと思います。

        そして、Guestさんが言われているように、誰かが声を大きく叫んでくれなければ、私のような人間には情報すら届かなかったと思います。叫んで知らせてくださった事に非常に感謝しています。

        ビーガン人が増えていけばば意図的な殺生や、禁固拷問のような飼育は少なくなるとおもいますが、全ての人間の良心が成長すれば、もっと簡単にもっとすばやくそのような行為はなくなると思います。ですので、私は自分の良心の成長と、ビーガンの心の成長の両方を研究中です。

        8年後の私がどうなっているのか とっても楽しみです。

        新米ビーガンの私ですが、これからも、宜しくお願いいたします。

        返信
        • akiishiyamacom says:

          ちずこリースさん、コメントありがとうございます☆ 感謝も深まるいいライフスタイルですよね。考え方というのはいつも変わり続けていくものなので、1年後には意外とガラっと変わっているかもしれませんよ(笑)

          返信
          • ちずこリース says:

            1年後、、どきどきわくわくです、

            私が幸せを実感してはじめて、動物の幸せを願える
            自分が犠牲をはらっているとおもっていると、他にも犠牲を強いてしまう
            本当にそうだと思います

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