「嫌われ役に徹する人たち」と「意気地なし」

「嫌われ役に徹しちゃう人」

というのが、

動物の権利を主張する人の中にはたくさんいることを知っています。

とても純粋で、「自分は周りから嫌われたっていいねん!」

「動物の命をただ守りたいねん!」

とにかくそういった行動に全霊を捧げられる人。

彼らには勇気と信念があります。

 

この僕にはそこまでのことができません。

たとえばFacebookのタイムラインに

血だらけの動物の写真をポストすることすらできないです。

「嫌がる人もいるから」

「食事中に目に飛び込んできたら不快な思いをさせるから」

とか、理由は「人のために」って考えてたけど

ただ自分が不快な人間になるのが嫌なだけかも、

自分の体面のほうが、死んでいく動物の命より大切なのかも。。

「意気地なし」

そうかもしれないです。

今まで、

「与えるものが受け取るもの」だとか

「自分が愛されてこそ、自分の愛するものが守れる」

だとか主張してきたけど、

ただ自分を正当化しているだけだったのかもしれないです。。

 

そんなことを考えていた矢先に、

こんな夢を見ました、見させられたのかもしれません。

 

 

路上で男性がドーナツを作って売っている

見た目もあざやか、おいしそうだ。

卵もミルクも使っているようだけど

僕は「ひとつください」と

ピンクにコーティングされたやつをもらった。

 

「こんなにおいしいドーナツはそうそうない。」

と言うと、男性はとても嬉しそうにしている。

僕たちはなんだかとても仲良くなった。

 

「じつは僕の友達にはアレルギーの子供を持つ親や、

ヴィーガンっていう卵やミルクも食べない人たちがたくさんいる。

彼らが食べられるドーナツを売ってる店はないんだ。

そういうのって、作れないかなあ?」

僕がそう言うと男性は

「腕には自信があるから、今度挑戦してみるよ!

教えてくれてありがとう。」と言ってくれた。

 

(夢、おわり)

 

 

この夢の主人公がベジタリアンなのか

ヴィーガンなのかはよくわかりませんでした。

ただ、ヴィーガンの市場を開拓するのは、

必ずしもヴィーガンだとは限りません。

むしろベジタリアンや、

非ベジタリアンのちからによるもののほうが多いかもしれないんです。

 

人生で人それぞれが最大限にできる貢献というのは、

「それぞれのできる範囲でただ思いやりを発揮するだけ」

それだけなのかもしれないとも思いました。

 

自分自身というものの中には、

「誰かと比べて無力」なのではなくて

「誰かと比べて有力」な部分というのがどこかにある。

それを見つけ出すほうが賢明だし、

他人の中にもそれを見つけ出すほうがより賢明なんだと思います。

 

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